歴史

ジョヴァンニ・アニェッリら数人の実業家の出資によって、1899年にトリノで創業された。かつてはフォーミュラーレースにも参戦してアルファ・ロメオやブガッティなどと覇を競い、1950年代には「8V」という高性能な高級GTカーも製造、数々の先進的な設計を次々と実用化・量産化した。

第二次世界大戦後にジョヴァンニ・アニェッリの孫のジャンニ・アニェッリ(ジャンニは愛称、本名は祖父と同じジョヴァンニ)が経営を引き継いでからは、ランチア、フェラーリ、アルファ・ロメオ、マセラティ、アウトビアンキ、アバルトなど、イタリア国内の自動車メーカーなどを次々と傘下に収め、同国最大の自動車メーカーとなっている。また、商用車部門としてイヴェコ、電装部品部門としてマニエッティ・マレリなども傘下に収めている。現在のフィアット本体は主に比較的小型の大衆向け乗用車を生産し、高級車などは傘下のメーカーが生産している。

また、長い歴史を持つフィアットは、社名ロゴと車両オーナメントの変更が多いことでも知られている。

イタリア国外進出

第2次世界大戦前から国外進出に意欲的で、1934年にはフランスにシムカを設立させたほか、ドイツでは1932年にNSUの自動車部門を買収し、「NSUフィアット」とした。戦後になっても、1950年にスペインでセアト(現在はフォルクスワーゲングループ)を設立し、1968年にはトルコでトファシュを設立している。

また、冷戦下において東欧圏への進出し、ソビエト連邦にプラントを輸出し、1970年にAvtoVAZが「ジグリ(輸出名『ラーダ』)」の生産を開始したほか、ポーランド(ポルスキ・フィアット)やユーゴスラビア(ザスタバ)にも進出した。さらに南アメリカではアルゼンチンに進出した他、1970年代にはブラジルでも生産を始めた。

またこの頃には、国営化されて以降高コスト体制と販売不振から経営苦境に陥っていたアルファ・ロメオや、同じく経営不振に陥っていたランチアを傘下に収め、イタリアの自動車業界を事実上独占することになる。

経営不振

この間、フィアットは石油ショックやその後の慢性的な労働争議により経営が不安定化し、1974年から1978年まで新型車の発表がなかった。リビアの元首であるカダフィ大佐からの融資を受け入れ、その後1980年代始めに発売された、斬新な設計の小型車「パンダ」と「ウーノ」の成功で窮地を脱した他、エンツォ・フェラーリ亡き後のフェラーリを完全子会社化した。

1990年代は「ブラーボ/ブラーバ」とジョルジェット・ジウジアーロのデザインした初代プントがヨーロッパで大ヒットし、かろうじてその屋台骨を支えたが、その後も低迷が続いた。

2000年より自動車部門でゼネラルモーターズと提携していたが、ゼネラルモーターズ側が2005年に一方的に提携を解消、買収契約に関する違約金、15.5億ユーロをゼネラルモーターズから得た。

経営建て直し

その後は、傘下のフェラーリおよびマセラティの経営を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長、およびセルジオ・マルキオンネCEOのもと、経営の建て直しをはじめた。

その様な中でもアニェッリ一族による経営が基本にあり、2005年にはジャンニ・アニェッリの孫のジョン・エルカーンがフィアットの取締役に、その弟のラポ・エルカーンがブランドマーケティング担当部長に就任し、過去に使用していたロゴマークを復活させ、ロゴを入れたアパレルなどを展開し、世界的に大ヒットさせた。

また、経営建て直しの一環として、モンテゼーモロ会長の指揮のもと、2005年に相次いで3つの新型車を発表している。まず、導入が待たれていた新Dセグメントモデルを、かつて使用していた車名、「クロマ」の名で発表。ワゴン風の5ドアボディとなっている。続いて7月28日、フィアット社はプントの第3世代「グランデプント」を発表した。実際に全長が4mを超える、「グランデ」(大きい)サイズだが、それ以上に大きな命運がこの車種に懸かっているとされ、実際同モデルはその後2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になるなど、フィアット建て直しのシンボルとなった。

さらに12月11日にはスズキとの共同開発による小型クロスオーバーSUV「セディチ(16、4×4=16から)」を発表。これらはいずれもジョルジェット・ジウジアーロとの協力でデザインされたものである。

復活

その様な中、1979年のデビュー以来根強い人気に支えられてきたパンダの後継であるニューパンダが2004年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

その後、積極的な新車攻勢とブランドイメージの復活を受けて販売台数が増加し、2005年11月には単月黒字を計上したほか、その後も単月黒字を連続して達成。その他にもクロマの予想を上回る販売台数を得た他、グランデプントが2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になる。2006年第三四半期の販売台数も、ルノーやプジョーなどのライバルが前年比割れになる中、前年比増になるなど長年の低迷から完全に復活したとの評価を受けた上に、自らも「復活宣言」を行った。

2007年にはグランデプントベースのセダン「リネア」、大失敗に終わったスティーロの後継車種「ブラーボ」(これまたかつての車名が復活)、往年のヒット作である「500」の新型をデビューさせ、同車種はヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。さらには「アバルト」ブランドを復活した。

現在

2009年1月には、サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下で経営再建を目指しているクライスラーに資本参加し、35%の株式を取得する資本提携合意を発表した。フィアットは、クライスラーが北アメリカ市場で燃費性能の高いコンパクトカーを生産するための技術などを提供すると同時に、北アメリカ市場以外におけるクライスラー車の販売でも協力することを表明した。

5月4日にゼネラルモーターズのヨーロッパ部門を買収し、事業を統合する新会社を設立する方針を明らかにした。

FIAT S.p.A.

種類 株式会社
本社所在地 イタリア
トリノ
設立 1899年 - トリノ
業種 輸送用機器
事業内容 自動車 , 商用車 , トラック , バス , 農業機械・建設機械
, 部品・生産システムの製造、販売 , 新聞紙の発行
代表者 ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ, 会長
ジョン・エルカーン, 副会長
セルジオ・マルキオンネ, CEO
従業員数 220,000
主要子会社 フィアットグループ・オートモビルズ、イヴェコ、フェラーリ、
マセラティ、アルファロメオ、ランチア、アバルト、
CNHグローバル、マニエッティ・マレリ